No.204新着 火焔太鼓 〜商売下手の古道具屋が、古い太鼓で三百両を手にする噺
商売下手な古道具屋の甚兵衛が、汚い太鼓を大名に三百両で売る滑稽噺。初代三遊亭遊三から五代目古今亭志ん生に伝わり、志ん生が大幅に手を入れて今の形になったとされる。サゲは複数あり、東京と上方でも演じ方が分かれる。原話は確かめられなかった。
本文と出典
あらまし
「火焔太鼓」は、古典落語の滑稽噺である。主人公は古道具屋の甚兵衛で、商いが下手で、気の強い女房に頭が上がらない。この甚兵衛が仕入れた汚い太鼓が、思いがけず大名に高値で買い上げられる。
ウィキペディアの項は、この噺を初代三遊亭遊三から五代目古今亭志ん生に伝わったものと記し、志ん生が多くのくすぐり(笑いどころ)を足して改作したと説明する。志ん生の代表的な演目としても知られる。1999年の郵便局の「落語切手」では、志ん生の図柄が太鼓を背負った姿で、演目は「火焔太鼓」だった。
主なできごと
・江戸時代 この噺の元になる小噺があったとする解説がある(開いた出典では確かめられなかった)
・明治末 初代三遊亭遊三が演じていたとされる(同上。遊三から志ん生へ伝わったことはウィキペディアの記述)
・1958年 五代目古今亭志ん生がラジオ放送で、サゲを変えて演じる(ウィキペディアの記述。1957年の録音とする解説もある)
・1999年 志ん生を描く落語切手が出る。図柄は火焔太鼓
・2016年 三代目桂南光が上方風に翻案して演じる(ウィキペディアの記述)
原話と成り立ちをめぐって
原話は確かめられなかった。ウィキペディアの項に原話の記載はなく、ほかに開いた解説にも出ていない。検索で見つかった別の解説は、江戸の小噺が元で、明治末に遊三が膨らませ、昭和に志ん生が仕立て直したと書くが、この解説自体は開いて確かめていない。
また、志ん生が遊三からどう噺を受けたのかも、確かめられなかった。ウィキペディアの志ん生の項に載る師匠は、三遊亭圓盛、二代目三遊亭小圓朝、四代目古今亭志ん生、三代目小金井芦州、初代柳家三語楼など多く、遊三は出てこない。「遊三から伝わった」という記述は、正式な師弟関係とは別に、噺を教わった筋を指すのだろうと考えられる。
このため、作者は不明とするほかない。確かなのは、今の形がほぼ志ん生の手による、という説明が複数あることである。
あらすじの骨組み
甚兵衛は市で、古くて汚い太鼓を安く仕入れてくる。女房は、そんなものが売れるはずがないと嫌味を言う。
店先で、丁稚の定吉が太鼓を叩いて遊ぶ。その音を聞いた侍が、近くの大名屋敷、赤井御門守の屋敷へ太鼓を持ってくるよう頼む。
殿様は太鼓を見て、「火焔太鼓」という国の宝にあたる名品だと見抜き、三百両で買い上げる。甚兵衛は大金を抱えて帰り、女房に報告する。
二人が次の儲け話を相談する場面でサゲになる。サゲの種類は、後に述べるように複数ある。
なお、郵便局の切手解説は、女房に叱られた道具屋が太鼓を背負って大名屋敷へ出かけると紹介している。出かけ方は、演者によって違うのだろう。
サゲと型の違い
サゲには「おジャンになる」「バチが当たる」「ピーピーになる」の型がある、とウィキペディアは記す。
「おジャン」は、半鐘を一つだけ打つと火事が収まった合図になることから、物事が途絶える意味で使う語である。太鼓の次は半鐘を仕入れようという流れから、この言葉に落ちる。「バチ」は、太鼓のばちと、悪いことをした報いのバチを掛ける。「ピーピー」は笛を仕入れる型で、金欠を指す俗語を掛ける。いずれもことば遊びのサゲである。
志ん生自身も、1958年の放送では「ドンドンと儲かる」という、めでたい形に変えて演じた。サゲを一つに決めず、場に応じて替えたことになる。
演者による違いも大きい。五街道雲助は、人物の口調を芝居がかったものにして、『人情噺 火焔太鼓』として演じることがある。三遊亭白鳥は、志ん生が足した部分を除いた原話に自分の創作を加えて発表した。
上方では、三代目桂南光が2016年に上方風に翻案して演じ、弟子の二代目桂南天も持ちネタにしている。別の解説は、東京版と上方版があり、聞き比べが楽しめると記す。上方版でどこまで筋が違うかは、確かめられなかった。
名演の系譜
名演として挙がる筆頭は、五代目古今亭志ん生である。志ん生は1890年に生まれ、1973年に亡くなった。長男は十代目金原亭馬生、次男は三代目古今亭志ん朝で、どちらも噺家になった。ウィキペディアの志ん生の項は、火焔太鼓を志ん生の得意演目の一つに挙げる。
志ん朝が火焔太鼓を父から受け継ぎ、十八番にしたという解説は見つかったが、開いた出典では確かめられなかった。馬生の火焔太鼓については、情報が見つからなかった。
師弟関係として確かめられたのは、南光と南天(師匠と弟子)だけである。雲助と白鳥が、誰から噺を受けたのかは、確かめた出典に書かれていない。
なぜ受け継がれたのか
一つには、筋が短くて分かりやすいことがある。汚い太鼓が高く売れるという話は、古道具の目利きの話であり、骨董に縁のない人にも通じる。
二つ目は、夫婦の掛け合いである。商い下手の亭主と、小言の多い女房という組み合わせは、寄席の客に身近なものだった。大金が入ると、立場が一瞬で入れ替わる。
三つ目は、手を入れる余地の広さである。サゲが複数あり、くすぐりも足せる。志ん生は改作し、雲助は人情噺の味に寄せ、白鳥は創作を加え、南光は上方風にした。決まった型が一つに固まらなかったことが、噺を長く演じさせたと考えられる。
評価の分かれる点
現在の火焔太鼓を、どこまで志ん生の創作と見るかは、解説によって濃淡がある。ほぼ志ん生の手によるとする説明がある一方、遊三からの土台を重く見る書き方もある。原話の有無も、確かめられていない。
サゲについても、「おジャンになる」を本来の型と見るか、変形を含めて自由に替えてよいと見るかで、考え方が分かれる。
くらさんの考察
この噺は、作者名のはっきりしない小噺を、噺家が代々練り直してきた例だと考えられる。志ん生の名前と強く結びつくのは、くすぐりやサゲを毎回替えられる、柔らかい作りだったからではないか。後の演者が人情噺風にも、上方風にも、新作風にも変えられたのは、その余地のおかげだろう。
ジージへの問いかけ
・志ん生の落語を、ラジオやテレビ、レコードで聞かれたことはありますか。そのとき、どんな印象でしたか。
・「おジャンになる」という言葉を、日常で使った覚えはありますか。半鐘や火事の合図を、子どもの頃に聞いた記憶はありますか。
・同じ噺で、サゲやくすぐりが演者ごとに替わることを、面白いと思いますか。それとも、決まった形で聞きたいですか。
確かめられなかった点
原話、江戸時代の小噺の出典、遊三から志ん生への伝わり方、志ん朝と馬生の演じ方、上方版の筋の違いは、確かめられなかった。サゲは種類の名を述べるにとどめ、台詞は書き写していない。
出典
・ウィキペディア「古今亭志ん生 (5代目)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/古今亭志ん生_(5代目)
・日本郵便「落語(切手趣味週間・1999年)」解説ページ http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/1999/0312/
・和芸落語「落語『火焔太鼓』」 https://wageirakugo.xyz/rakugo-kaendaiko/
動画
・【立川志らく】YouTubeで落語 二席目「火焔太鼓」(2020.5)(ワタナベエンターテインメント【公式】)https://www.youtube.com/watch?v=Gc8f5Y-UJyc
関連動画
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが落語QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。