上方落語このタグの資料 13 本

  1. 三代目桂米朝 消えかけた上方落語を、記録と研究で立て直した人新着No.93

    戦後に衰えていた上方落語を、上方落語四天王の一人として立て直した桂米朝。滅びかけた噺の復活と、録音・著作による記録に力を注ぎ、1996年に人間国宝となった。

  2. NHK新人落語大賞 1972年のコンクールから、二ツ目の登竜門へ新着No.52

    NHK新人落語大賞は、1972年のNHK新人落語コンクールに始まる。1986年に漫才と統合、1990年に新人演芸大賞となり、2014年に落語部門が独立した。2025年度の大賞は春風亭一花。

  3. 地獄八景亡者戯 あの世めぐりの上方の大ネタ新着No.85

    魚にあたって死んだ男があの世を旅する、一時間近い上方の大ネタ。起源は小咄に求められ、現在の形は三代目桂米朝が戦後に再構築したものが土台になった。サゲは薬の名にかけた言葉遊びで、枝雀はこれを変えた。

  4. 時そば 一文をごまかす夜のそば屋新着No.84

    夜そば屋で代金を数えながら時刻を聞き、一文をごまかす男と、それを真似して失敗する男の噺。上方の「時うどん」を三代目柳家小さんが江戸に移したとされ、原話は江戸の笑話本に求められる。江戸時代の時刻の数え方が仕掛けの鍵になる。

  5. らくだ 乱暴者の弔いと、くず屋の豹変新着No.83

    河豚にあたって死んだ乱暴者の弔いに、通りがかりのくず屋が巻き込まれる噺。上方の「駱駝の葬礼」を三代目柳家小さんが東京へ移した。酒が入ると立場が入れ替わる後半が見せ場で、東西で死骸の運び方が違う。

  6. 前座・二つ目・真打と入門から修業まで 楽屋の仕事が、噺家を育てる新着No.73

    東京の落語家は、見習いから前座・二つ目・真打へと進む。前座の楽屋仕事、二つ目の暮らし、真打の資格と、昇進をめぐる議論を、出典で確かめられた範囲で書く。修業の年数は確認できなかった。

  7. 落語協会・落語芸術協会・上方落語協会・円楽一門会・立川流 五つの団体の成り立ち新着No.72

    落語家の団体は、東京の落語協会・落語芸術協会・円楽一門会・立川流と、大阪の上方落語協会。それぞれの設立年と分裂の経緯、2026年10月時点で確かめられた会長を書く。

  8. 上方落語と江戸落語の違い 見台・小拍子・ハメモノは、辻噺の名残新着No.33

    上方落語には見台・小拍子・膝隠しの道具とはめものがあり、江戸には前座・二つ目・真打の身分がある。違いの背景として、辻噺と座敷噺という起こりの違いが語られる。

  9. 1990年以降の落語 専用の寄席が戻り、配信が加わった新着No.7

    1993年に初の女性真打が生まれ、1995〜96年には小さんと米朝が人間国宝になった。2006年には戦後初の上方落語専門の定席・天満天神繁昌亭が開き、2020年のコロナ禍では若手がYouTube配信に乗り出した。

  10. 1970〜80年代の落語 テレビの笑いと、協会の分裂新着No.6

    1966年に始まった『笑点』は、初代司会の立川談志のもとで落語家の大喜利を茶の間に広げた。上方では米朝・松鶴ら四天王が復興を進め、東京では1978年に落語協会の分裂騒動、1983年には立川流の創設が起きた。

  11. 戦後の落語 満洲帰りの二人と、上方の瀬戸際新着No.5

    戦後の東京では、満洲から1947年に帰国した志ん生・圓生と、文楽が、ラジオと寄席で全盛期を迎えた。同じころ上方は空襲で定席を失い、名人も相次いで亡くなって衰えたが、1957年の上方落語協会結成から復興が始まった。

  12. 大正・昭和戦前の落語 ラジオに乗り、禁演の五十三席を石の下に埋めた新着No.4

    大正は活動写真やオペラに客を取られ、落語は不況に向かった。1925年のラジオ放送開始で落語は寄席の外へ出て、昭和初期には兵隊物などの新作落語が人気を集めた。1940年、戦時下の自粛で吉原物などの53演目が禁演となり、翌年、浅草の本法寺に「はなし塚」が建てられた。

  13. 起こり〜江戸前期の落語 説教の笑い話が、辻の見世物になった新着No.1

    落語の始まりは、京都の説教僧・安楽庵策伝がまとめた笑話集『醒睡笑』(1623年成立)に置かれることが多い。元禄のころには京・大坂・江戸でそれぞれ、辻や座敷で噺を聞かせて銭を取る者が現れ、職業としての噺家の原型ができた。ただし、その後は約100年の停滞がある。

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