No.4新着 大正・昭和戦前の落語 ラジオに乗り、禁演の五十三席を石の下に埋めた
大正は活動写真やオペラに客を取られ、落語は不況に向かった。1925年のラジオ放送開始で落語は寄席の外へ出て、昭和初期には兵隊物などの新作落語が人気を集めた。1940年、戦時下の自粛で吉原物などの53演目が禁演となり、翌年、浅草の本法寺に「はなし塚」が建てられた。
本文と出典
あらまし
大正から昭和戦前の落語は、娯楽の多様化、ラジオ、戦争という三つの外の力に動かされた。活動写真やオペラが流行すると、寄席の客は減った。1925年にラジオ放送が始まって、落語は電波に乗る。
戦時色が濃くなると、落語界は自ら演目を封じた。1940年9月に吉原を舞台にした噺などが禁演とされ、1941年10月には、封じた演目を弔う「はなし塚」が建てられた。
主なできごと
・1917年 柳派と三遊派が合併して東京寄席演芸株式会社を設立。同年、五代目柳亭左楽が脱退して落語睦会を旗揚げ(大正6年)
・1924年 関東大震災後に大同団結し、2月25日に上野精養軒で発会式。現在の落語協会のルーツとされる(大正13年)
・1925年 ラジオ放送が始まり、落語も放送される
・1930年 日本芸術協会(現在の落語芸術協会)が設立される
・1936年 五代目笑福亭松鶴が雑誌『上方はなし』を発刊し、吉本興業を脱退する
・1940年9月 講談落語協会が、吉原物などの上演を自粛すると発表。53演目が警視庁に報告される
・1941年10月30日 浅草・本法寺で「はなし塚」の除幕式が行われる
・1946年9月30日 禁演落語の復活祭が行われる
くわしく
東西の寄席と新作
東京では、1917年に柳派と三遊派が合併して会社が作られた。だが同じ年に五代目左楽が抜けて落語睦会を作り、合併と分裂が続いた。関東大震災ののち、左楽らの尽力で大同団結が図られ、1924年2月に発会式が行われた。これが落語協会のもとにあたると、協会は沿革で説明している。
新作では、益田太郎冠者の「宗論」「堪忍袋」、柳家金語楼の兵隊物(「落語家の兵隊」)が名前の挙がる例である。上方では初代桂春團治が古い噺に大胆な味付けをして人気を集めた。ただし昭和に入ると、上方の落語は漫才に押されて衰えた、とウィキペディアは書く。
ラジオと落語
コトバンクは、ラジオ放送の影響で「らくご」という呼称が普及したと説明している。声だけで楽しめる落語は、ラジオと相性がよかった。一方、大正時代の寄席は、活動写真やオペラの流行で不況に向かったとされる。
禁演落語とはなし塚
1940年、講談落語協会は、艶笑物や博打物などの上演を取りやめると発表した。吉原物を中心とした53演目が選ばれ、「品川心中」「明烏」「居残り佐平次」といった今も知られる噺が含まれた。選定には、落語研究家の野村無名庵が深く関わったとされる。
1941年10月30日、禁演にした噺を弔う「はなし塚」が浅草の本法寺に建てられた。禁演は1946年9月30日の「禁演落語復活祭」で解かれた。
なぜそうなったのか
禁演の公式の理由は、落語が低俗で、吉原や不倫を扱う噺が時局にふさわしくない、というものだった。ウィキペディアが引く柏木新の集計では、廓物が32、不倫・艶笑物が16、妾物が4、残酷物が1とされる。当初うたわれた「博徒物」「白浪物」は、実際には入っていなかったという。時局への配慮が名目で、実際の対象は性風俗に偏っていたことになる。
評価の分かれる点
・禁演が警視庁の命令だったのか、落語界の自主的な申し合わせだったのかは、資料で説明が分かれる。東京日日新聞は警視庁保安部が53演目を禁止したと報じたが、同時代の書物には、芸人側の申し合わせと書くものもあり、後の研究者の正岡容は「自粛」と見て批判した。ウィキペディアはこの両論を併記している。
・「国策落語」と呼ばれる戦時色の濃い新作は、戦後に残ったものがごくわずかだった。ただ、これを落語の恥と見るか、当時の客の需要に応えた産物と見るかは、評価が分かれる。
くらさんの考察
この時代は、落語が初めて「放送」と「検閲に近い統制」の両方を経験した時期だと考えられる。ラジオで声の芸としての落語が広がる一方で、噺の中身が時局に合わせて削られた。
「はなし塚」は、禁じた噺への惜別の形であり、自分たちの手で封じたという落語界の複雑な気持ちが表れていると考えられる。ただし、これは本人たちの証言で確かめたわけではなく、推測である。
ジージへの問いかけ
・ジージの親の世代から、戦時中の寄席やラジオの話を聞いたことはありますか。
・「廓噺」のように、今の感覚では扱いにくい噺を、どう残すべきだと思いますか。
・ラジオで落語を聞いた最初の記憶は、いつごろ、誰の噺ですか。
出典
・禁演落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/禁演落語
・落語協会 協会概要 https://www.rakugo-kyokai.jp/about
・落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/落語
・落語(コトバンク) https://kotobank.jp/word/落語
・新作落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/新作落語
確かめられなかった点:落語協会の発会は、協会の沿革では1924年とあるが、ウィキペディアの「落語」の項は1923年(関東大震災の年)と書いており、年は確かめきれなかった。協会側の1924年を採った。ラジオ初期の落語の放送の実態も確かめられていない。
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