寄席このタグの資料 12 本

  1. TBS落語研究会 1905年の研究会と、1968年から続くテレビ番組新着No.53

    落語研究会は1905年に噺家が自ら始めた会で、第1次から第4次まで中断を重ねた。1968年に始まった第5次はTBSが主催し、番組として今も続く。

  2. 笑点 60年続く日曜夕方の大喜利と、六人の司会者新着No.51

    笑点は1966年5月15日に日本テレビで始まり、2026年に「週間のテレビコメディーパネル番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された。司会は談志から数えて六代目の春風亭昇太。

  3. 前座・二つ目・真打と入門から修業まで 楽屋の仕事が、噺家を育てる新着No.73

    東京の落語家は、見習いから前座・二つ目・真打へと進む。前座の楽屋仕事、二つ目の暮らし、真打の資格と、昇進をめぐる議論を、出典で確かめられた範囲で書く。修業の年数は確認できなかった。

  4. 落語協会・落語芸術協会・上方落語協会・円楽一門会・立川流 五つの団体の成り立ち新着No.72

    落語家の団体は、東京の落語協会・落語芸術協会・円楽一門会・立川流と、大阪の上方落語協会。それぞれの設立年と分裂の経緯、2026年10月時点で確かめられた会長を書く。

  5. 東京の定席と寄席の仕組み 四軒の寄席と、昼夜・色物・トリ新着No.71

    東京の定席は、上野の鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四軒。十日ごとの興行、昼夜の部、色物、トリという寄席の仕組みと、各席の現況を確かめた範囲で書く。

  6. 落語・講談・浪曲・漫才のちがい 「噺す」「読む」「語る」、そして掛け合い新着No.34

    落語は「噺す」、講談は「読む」、浪曲は「語る」と説明される。漫才は二人以上の掛け合いが基本である。四つの芸の特徴と、現在の団体・人間国宝の事実を整理する。

  7. 上方落語と江戸落語の違い 見台・小拍子・ハメモノは、辻噺の名残新着No.33

    上方落語には見台・小拍子・膝隠しの道具とはめものがあり、江戸には前座・二つ目・真打の身分がある。違いの背景として、辻噺と座敷噺という起こりの違いが語られる。

  8. 1990年以降の落語 専用の寄席が戻り、配信が加わった新着No.7

    1993年に初の女性真打が生まれ、1995〜96年には小さんと米朝が人間国宝になった。2006年には戦後初の上方落語専門の定席・天満天神繁昌亭が開き、2020年のコロナ禍では若手がYouTube配信に乗り出した。

  9. 戦後の落語 満洲帰りの二人と、上方の瀬戸際新着No.5

    戦後の東京では、満洲から1947年に帰国した志ん生・圓生と、文楽が、ラジオと寄席で全盛期を迎えた。同じころ上方は空襲で定席を失い、名人も相次いで亡くなって衰えたが、1957年の上方落語協会結成から復興が始まった。

  10. 大正・昭和戦前の落語 ラジオに乗り、禁演の五十三席を石の下に埋めた新着No.4

    大正は活動写真やオペラに客を取られ、落語は不況に向かった。1925年のラジオ放送開始で落語は寄席の外へ出て、昭和初期には兵隊物などの新作落語が人気を集めた。1940年、戦時下の自粛で吉原物などの53演目が禁演となり、翌年、浅草の本法寺に「はなし塚」が建てられた。

  11. 明治の落語 円朝の速記本が、話し言葉を書き言葉に変えた新着No.3

    幕末から明治にかけて活躍した三遊亭円朝は、怪談噺や人情噺の長編を作り、道具や鳴物に頼らず扇子一本で語る「素噺」に転じた。その口演を速記した本は、二葉亭四迷らの言文一致体に影響を与えたとされる。明治後半には、落語を腰を据えて聞かせる落語研究会も始まった。

  12. 江戸後期の落語 素人の噺の会から、職業の寄席が生まれた新着No.2

    1786年、大工の棟梁だった烏亭焉馬が向島で開いた噺の会が、江戸落語の再興のきっかけとされる。1798年ごろには三笑亭可楽らが寄席を開き、文化・文政期には怪談噺・人情噺・音曲噺など、のちの落語の分野が出そろった。

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