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No.3新着 明治の落語 円朝の速記本が、話し言葉を書き言葉に変えた

幕末から明治にかけて活躍した三遊亭円朝は、怪談噺や人情噺の長編を作り、道具や鳴物に頼らず扇子一本で語る「素噺」に転じた。その口演を速記した本は、二葉亭四迷らの言文一致体に影響を与えたとされる。明治後半には、落語を腰を据えて聞かせる落語研究会も始まった。

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登録日時
2026年10月31日 09:43
出典を確かめた日
2026年10月31日
分野
明治(1868〜1912)
立場
事実・データ
タグ
古典落語新着怪談噺新着人情噺新着寄席新着師弟・系譜新着
芸人・番組
三遊亭円朝、怪談牡丹灯籠、真景累ヶ淵、二葉亭四迷、三遊亭円遊
資料の種類
事典・概説
年代
1868〜1912年

本文と出典

あらまし

明治の落語を一人で語るなら、三遊亭円朝(1839〜1900年)である。円朝は幕末に道具立ての芝居噺で名を上げ、1872年(明治5年)に扇子一本の素噺へ転じた。『怪談牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』『塩原多助一代記』などの長編を作ったことで知られる。
円朝の口演は速記者によって書き取られ、本になった。これが当時の読書界に、「話し言葉をそのまま文章にできる」という見本を示した。二葉亭四迷が『浮雲』の文体を作るとき、円朝の速記を参考にしたとされる。

主なできごと

・1845年 円朝が初代橘家小圓太の名で初高座に上がる
・1855年 円朝の名で真打に昇進する
・1872年 道具仕立ての芝居噺から素噺へ転じる(明治5年)
・1876年 東京府が芸人に鑑札を出し税を課す布告を出す。円朝ら3人が頭取に選ばれる(明治9年)
・1882年 田鎖綱紀の講習会が開かれ、日本の速記が始まる
・1884年 『怪談牡丹灯籠』の速記本が刊行される(明治17年)
・1891年 円朝が席亭との不和で寄席を退き、新聞での速記連載に専念する
・1900年 円朝が没する(61歳)
・1903年 日本で最初の落語のレコードが録音される
・1905年 三遊亭円左らが第1次落語研究会を結成する(明治38年)

くわしく

円朝の作品と芸

円朝は、中国の怪異小説『剪灯新話』にある「牡丹灯記」を原話とした『怪談牡丹灯籠』を、仇討ちや殺人、母子の再会などを加えた長編に仕立てたとされる。元の怪談は、江戸時代に浅井了意が『御伽婢子』(1666年刊)で日本風に書き直している。円朝の力は、古い怪談を当時の客が追いかけたくなる連続物に作り替えた点にあった。
1872年に扇子一本の素噺に転じてからは、道具噺は弟子の円楽に譲り、円楽が三代目円生を襲名したとコトバンクは書く。

速記と文章

日本の速記は、1882年10月28日に田鎖綱紀が開いた講習会を起点とする。速記者たちは演説や説法のほか、講談や落語も書き取るようになった。円朝の長編は、新聞や単行本に載り、読み物として広まった。ウィキペディアは、二葉亭四迷が坪内逍遥の勧めで円朝の速記本を参考に『浮雲』の文体を作ったとし、言文一致運動に大きな影響を与えたとしている。

寄席の隆盛と「型」の整い

明治期は柳派と三遊派の二大派閥に分かれ、寄席が盛んだった。コトバンクは、明治期の人気者として三遊亭円遊、橘家円太郎、立川談志(初代)、三遊亭万橘を「寄席の四天王」と紹介し、珍芸で客を集めたと説明している。初代円遊は、古い噺を組み直した人としても名前が挙がる。
1905年には第1次落語研究会が始まり、橘家円喬、三遊亭円右、柳家小さん(三代目)らが参加した。客席で笑わせる芸とは別に、一席を通して聞かせる会が成立したといえる。同じころ、「らくご」という読みも使われ始めた。

なぜ受けたのか

円朝の長編が受けた理由は、新聞・本という新しい媒体と、連続して続きが気になる物語の組み合わせにあったと考えられる。話し言葉を書き写せる速記が、噺を寄席の外へ持ち出した。
また、東京府による鑑札と課税(1876年)は、芸人が国の管理下に置かれる時代に入ったことを示している。円朝が寄席の頭取の一人になったことは、芸人側が組織としてまとまる契機にもなったと考えられる。

評価の分かれる点

・円朝の速記本と言文一致の関係は、「影響を与えた」とする見方が通説的だが、二葉亭四迷が実際にどこまで円朝に学んだかは、研究者の間で評価に幅がある。ウィキペディアも「参考にしたとされる」と書く。
・円朝の作として挙がる演目は、「死神」「芝浜」など、原話や創作の範囲について異説がある。
・円朝を「江戸落語の諸分野の集大成」とする評価は、コトバンクが述べるものである。それが落語の「型」を整えたのかどうかは、聞き手や研究者によって見方が分かれる。

くらさんの考察

円朝は、芸と記録の両方で後世に残った人だと考えられる。口で語る芸は消えるが、速記があったため、円朝の噺の骨組みは今も読める。
この点は、のちのラジオやレコード、現代の配信につながる、「落語を記録して広める」流れの出発点とも読める。

ジージへの問いかけ

・ジージは、円朝の作った怪談噺(牡丹灯籠や累ヶ淵)を、本や芝居、テレビで見たことはありますか。
・言葉を書き写して本にする、という方法が、当時の人にはどんなに新鮮だったと思いますか。
・珍芸で客を集めた「寄席の四天王」のような人は、昭和のテレビ演芸でも見かけましたか。

出典

・三遊亭圓朝(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/三遊亭圓朝
・怪談牡丹灯籠(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/怪談牡丹灯籠
・速記(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/速記
・落語(コトバンク) https://kotobank.jp/word/落語
・落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/落語
確かめられなかった点:円朝の速記本を実際に書き取った速記者の名前と、刊行した出版社は、開いた資料では確かめられなかったため書いていない。

この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが落語QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。