落語史辻咄から現代の落語会まで
江戸の町で落語家が寄席を開いたころから、劇場と配信が並び立つ今まで。時代ごとに1本ずつの記事にしました。 各記事の終わりに「ジージへの問いかけ」があります。読んで浮かんだ疑問は落語QAで答えます。
起こり〜江戸前期(〜1750)
- 起こり〜江戸前期の落語 説教の笑い話が、辻の見世物になったNo.1
落語の始まりは、京都の説教僧・安楽庵策伝がまとめた笑話集『醒睡笑』(1623年成立)に置かれることが多い。元禄のころには京・大坂・江戸でそれぞれ、辻や座敷で噺を聞かせて銭を取る者が現れ、職業としての噺家の原型ができた。ただし、その後は約100年の停滞がある。
登録 2026年10月31日 09:43
江戸後期(1750〜1868)
- 江戸後期の落語 素人の噺の会から、職業の寄席が生まれたNo.2
1786年、大工の棟梁だった烏亭焉馬が向島で開いた噺の会が、江戸落語の再興のきっかけとされる。1798年ごろには三笑亭可楽らが寄席を開き、文化・文政期には怪談噺・人情噺・音曲噺など、のちの落語の分野が出そろった。
登録 2026年10月31日 09:43
明治(1868〜1912)
- 明治の落語 円朝の速記本が、話し言葉を書き言葉に変えたNo.3
幕末から明治にかけて活躍した三遊亭円朝は、怪談噺や人情噺の長編を作り、道具や鳴物に頼らず扇子一本で語る「素噺」に転じた。その口演を速記した本は、二葉亭四迷らの言文一致体に影響を与えたとされる。明治後半には、落語を腰を据えて聞かせる落語研究会も始まった。
登録 2026年10月31日 09:43
大正・昭和戦前(1912〜1945)
- 大正・昭和戦前の落語 ラジオに乗り、禁演の五十三席を石の下に埋めたNo.4
大正は活動写真やオペラに客を取られ、落語は不況に向かった。1925年のラジオ放送開始で落語は寄席の外へ出て、昭和初期には兵隊物などの新作落語が人気を集めた。1940年、戦時下の自粛で吉原物などの53演目が禁演となり、翌年、浅草の本法寺に「はなし塚」が建てられた。
登録 2026年10月31日 09:43
戦後(1945〜1969)
- 戦後の落語 満洲帰りの二人と、上方の瀬戸際No.5
戦後の東京では、満洲から1947年に帰国した志ん生・圓生と、文楽が、ラジオと寄席で全盛期を迎えた。同じころ上方は空襲で定席を失い、名人も相次いで亡くなって衰えたが、1957年の上方落語協会結成から復興が始まった。
登録 2026年10月31日 09:43
1970〜80年代
- 1970〜80年代の落語 テレビの笑いと、協会の分裂No.6
1966年に始まった『笑点』は、初代司会の立川談志のもとで落語家の大喜利を茶の間に広げた。上方では米朝・松鶴ら四天王が復興を進め、東京では1978年に落語協会の分裂騒動、1983年には立川流の創設が起きた。
登録 2026年10月31日 09:43
1990年以降
- 1990年以降の落語 専用の寄席が戻り、配信が加わったNo.7
1993年に初の女性真打が生まれ、1995〜96年には小さんと米朝が人間国宝になった。2006年には戦後初の上方落語専門の定席・天満天神繁昌亭が開き、2020年のコロナ禍では若手がYouTube配信に乗り出した。
登録 2026年10月31日 09:43