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No.1新着 起こり〜江戸前期の落語 説教の笑い話が、辻の見世物になった

落語の始まりは、京都の説教僧・安楽庵策伝がまとめた笑話集『醒睡笑』(1623年成立)に置かれることが多い。元禄のころには京・大坂・江戸でそれぞれ、辻や座敷で噺を聞かせて銭を取る者が現れ、職業としての噺家の原型ができた。ただし、その後は約100年の停滞がある。

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登録日時
2026年10月31日 09:43
出典を確かめた日
2026年10月31日
分野
起こり〜江戸前期(〜1750)
立場
評価の分かれる点
タグ
古典落語新着演目新着上方落語新着江戸落語新着師弟・系譜新着
芸人・番組
安楽庵策伝、醒睡笑、露の五郎兵衛、米沢彦八、鹿野武左衛門
資料の種類
事典・概説
年代
1623〜1750年ごろ

本文と出典

あらまし

落語の「祖」として名前が挙がるのは、京都の誓願寺にいた浄土宗の説教僧・安楽庵策伝である。策伝は笑い話を集めた『醒睡笑』をまとめ、その多くが末尾に「落ち」をつける形をとっていた。この形が、のちの落語のサゲにつながる。
策伝の次の世代、元禄のころ(17世紀末)になると、京の露の五郎兵衛、大坂の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門が、人の集まる場所で噺を聞かせて生計を立てた。三人は東西の「噺家の祖」とされる。
ただし辻噺の人気は長続きせず、江戸で再び噺が盛り上がるのは18世紀後半、焉馬の会(天明6年・1786年)まで待つことになる。

主なできごと

・1554年 安楽庵策伝が生まれる(1642年没とされる)
・1623年 『醒睡笑』が成立(元和9年)。百科事典には、1615年ごろに書き始め、1628年に京都所司代・板倉重宗へ献呈したとする説明もある
・1649年 鹿野武左衛門が生まれる(1699年没)
・17世紀後半(元禄期) 京の露の五郎兵衛、大坂の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門が辻や座敷で噺を演じる
・1693年 鹿野武左衛門が、流行病をめぐる風評の事件に連座して大島へ流されたとされる(元禄6年)

くわしく

『醒睡笑』とは何か

コトバンクの説明では、『醒睡笑』は全8巻で、話を42の項目に分けている。手書きの写本(広本)には1,000余りの話、のちに版木で刷られた版(略本)には311話が入る。数え方に差があるのは、この二系統があるためである。材料は策伝が見聞きした逸話、僧侶の世界の内情、戦国武将の行状、民間に伝わる話など幅広い。教訓めいた話も多く、笑いだけの本ではない。
策伝は、京都所司代の板倉重宗に頼まれて編んだとされる。説教の場で話すために蓄えた笑い話が元になっているため、「語る人」が先にいて、その種本として書かれた点に特徴がある。

辻噺の三人

辻噺は、寺社の境内や河原のような人の集まる場所で、簡単な小屋掛けや茣蓙の上で行う芸である。露の五郎兵衛は京都の四条河原や北野などで、米沢彦八は大坂の生玉神社の境内で演じたとされる。彦八は名古屋でも興行したという。大阪市では、彦八にちなむ「彦八まつり」が毎年9月に開かれている。
鹿野武左衛門は大坂の生まれで、江戸に出て座敷での噺(座敷仕方咄)を始めたとされる。身振りを交えて話すもので、風呂屋や芝居小屋でも演じたという。のちに流罪となり、江戸の座敷噺は下火になった。江戸川区の資料は、この辻噺が人気を失ったのち、落語は約100年のあいだ衰えたと説明している。

なぜ受けたのか

策伝の場合は、説教という人が集まる機会が先にあり、聞き手を退屈させない工夫として笑い話が磨かれたと考えられる。辻噺の三人の場合は、城下町に人口が集まり、寺社の境内に見世物や芸能の客がいたことが背景にある。京・大坂・江戸のどこでも同じ時期に似た芸が現れたのは、同じ条件が三都にそろっていたためと考えられる。
なお、豊臣秀吉の御伽衆だった曽呂利新左衛門を噺家の祖とする話もあるが、実在そのものが疑われている。

評価の分かれる点

・策伝を「落語の祖」とする呼び方は、後世の位置づけである。ウィキペディアは、関根黙庵の『江戸の落語』(1905年)が策伝に言及して以後に広まったと説明している。策伝が演じた説教と、金を取る芸としての落語は別のものだとして、祖と呼ぶことに慎重な見方もありうる。
・『醒睡笑』の成立年は、完成を1623年とする資料が多いが、執筆開始や献呈の時期は資料によって幅がある。
・米沢彦八や鹿野武左衛門の事績は、資料によって細部が異なる。鹿野の流罪の経緯も、事件の細かい内容は資料ごとに違うため、ここでは「連座したとされる」にとどめる。

くらさんの考察

この時代の落語は、まだ「噺家」という職業が定まっておらず、説教僧・大道芸人・座敷芸人のあいだを行き来する芸だったと考えられる。落ちのある短い話という核は策伝のころからあり、変わったのは、それを聞かせる場所と、金の取り方である。
辻噺が約100年途切れた理由は、資料からは確かめられなかった。弾圧や芸の飽きられなど、複数の理由が重なったのかもしれないが、推測の域を出ない。

ジージへの問いかけ

・ジージが子どものころに聞いた落語や笑い話のなかに、「落ち」の形で覚えているものはありますか。
・お寺で聞いた説教に、笑い話が混ざっていた記憶はありますか。
・露天や縁日で、人を集めて話をする芸人を見かけたことはありましたか。

出典

・安楽庵策伝(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/安楽庵策伝
・醒睡笑(コトバンク) https://kotobank.jp/word/醒睡笑
・落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/落語
・鹿野武左衛門(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/鹿野武左衛門
・落語入門(江戸川区の解説ページ) https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e026/sports/bunka/hirai_enzotei/rakugonyumon.html
確かめられなかった点:露の五郎兵衛の生没年、米沢彦八の細かい経歴、鹿野武左衛門の流罪の事件の詳しい内容は、開いた資料では確かめきれなかったため書いていない。

この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが落語QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。