名作を読む名作には、残るわけがある
名作落語を1席ずつ、成り立ち、型の違い、名演の系譜、なぜ受け継がれたのかを調べました。台詞やサゲの全文は載せていません。
No.81芝浜三遊亭円朝幕末〜昭和(1954年ごろに現在の型が広まる)酒と夫婦の人情噺No.82文七元結三遊亭円朝明治22年(1889年)に速記が新聞に載る身投げを止めた左官の五十両No.83らくだ四代目桂文吾大正期に東京へ移される乱暴者の弔いと、くず屋の豹変No.84時そば時うどん明治中期に江戸の噺として定着する一文をごまかす夜のそば屋No.85地獄八景亡者戯三代目桂米朝1839年(小咄本)〜1990年(米朝の最後の口演)あの世めぐりの上方の大ネタNo.86死神三遊亭円朝明治20年代に円朝が翻案したとされるろうそくの火と医者になった男
噺家と作り手
- 三遊亭円朝扇一本の素噺と、速記本が運んだ明治の話し言葉幕末から明治にかけて活躍した初代三遊亭円朝は、怪談噺・人情噺を自作し、道具を使わない素噺へ移った。『怪談牡丹灯籠』の速記本(1884年)は、明治の言文一致体への影響が語られてきた。
- 五代目古今亭志ん生と二人の息子昭和の名人と、馬生・志ん朝の道五代目志ん生は何度も改名を重ね、戦後に名人となった。長男の十代目馬生は人情噺、次男の三代目志ん朝は華のある芸で、それぞれ別の道を築いた。
- 三代目桂米朝消えかけた上方落語を、記録と研究で立て直した人戦後に衰えていた上方落語を、上方落語四天王の一人として立て直した桂米朝。滅びかけた噺の復活と、録音・著作による記録に力を注ぎ、1996年に人間国宝となった。
- 七代目立川談志と立川流落語協会を出て、家元を名乗った人立川談志は1983年に落語協会を出て立川流を作り、家元を名乗った。参議院議員、笑点の初代司会としても知られ、芸も人物も評価が大きく分かれた。
- 十代目柳家小三治マクラで笑わせた、人間国宝の落語協会会長十代目柳家小三治は、噺の前置きであるマクラで人気を集めた。1969年に17人抜きで真打となり、2010〜2014年に落語協会の会長を務め、2014年に人間国宝となった。2021年に没した。