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No.93新着 三代目桂米朝 消えかけた上方落語を、記録と研究で立て直した人

戦後に衰えていた上方落語を、上方落語四天王の一人として立て直した桂米朝。滅びかけた噺の復活と、録音・著作による記録に力を注ぎ、1996年に人間国宝となった。

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登録日時
2026年10月31日 09:43
出典を確かめた日
2026年10月31日
分野
噺家と作り手
立場
事実・データ
タグ
上方落語新着古典落語新着師弟・系譜新着演目新着落語会・ホール新着
芸人・番組
三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝、三代目桂春団治、桂枝雀、桂ざこば、算段の平兵衛
資料の種類
事典・概説
年代
1925〜2015年

本文と出典

あらまし

三代目桂米朝は、本名を中川清といい、1925年11月6日に旧関東州大連(満洲)で生まれ、兵庫県姫路市で育った。2015年3月19日、肺炎のため89歳で亡くなった。
戦後、上方落語は高齢の噺家がわずかに残るだけの状態だった。そこへ入門し、立て直した四人が「上方落語四天王」と呼ばれる。六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、五代目桂文枝(三代目小文枝)、三代目桂春団治である。
米朝は、その中でも古い噺の掘り起こしと記録に力を注いだ人として知られる。ここでは受賞年や役職など、出典で確かめたことを中心に述べる。

主なできごと

・1925年 満洲・大連に生まれる
・1947年 9月、四代目桂米団治に入門し、三代目桂米朝を名乗る
・1957年 上方落語協会で副会長(〜1977年)
・1961年 兵庫県尼崎市に移る
・1977年 上方落語協会の相談役になる。この年、若手育成のため「尼崎落語勉強会」を始める
・1987年 紫綬褒章
・1988年 上方落語協会の会長に選ばれたが、辞退する
・1996年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。落語家では二人目、上方落語界では初
・2002年 文化功労者(演芸人として初)
・2009年 文化勲章(演芸界初)
・2015年 3月19日に没する

くわしく 入門と研究

入門のきっかけは、作家で寄席文化の研究家でもあった正岡容との出会いだった。正岡の弟子として学んだのち、四代目桂米団治の弟子になった。師匠の米団治は、上方落語の古い世代の噺家である。
米朝は、古書や資料を集め、年配の噺家から聞き取りをして、演じられなくなっていた噺を復活させた。『算段の平兵衛』『風の神送り』『矢橋船』などが例として挙がる。自宅には、古い本や資料を収めた書庫があった。

くわしく 記録と著作

LPやCDで上方落語を録音して残し、『上方落語ノート』『米朝落語全集』といった著作も出した。演じるだけでなく、噺の由来や型を文字にして残した点が、のちの噺家の財産になったと考えられる。
尼崎の落語勉強会は1977年に始まり、国立演芸場の展覧会案内によれば、今年度で第280回を数える。若手に高座の機会を作り続けた例である。

くわしく 弟子たち

弟子には、二代目桂枝雀、二代目桂ざこば、桂吉朝、長男の五代目桂米団治らがいる。枝雀とざこばは異能派と評され、吉朝は師匠の端正な芸を受け継ぐとされた。同じ師匠から、まるで違う持ち味が出た。

くわしく 栄典と呼び名

人間国宝のほか、1987年の紫綬褒章、2002年の文化功労者(演芸人として初)、2009年の文化勲章(演芸界初)を受けた。没した2015年には、死没の日付で従三位が贈られた。国立演芸場の展覧会案内は、その功績から米朝を「上方落語中興の祖」と呼んでいる。俳号は八十八(やそはち)で、噺家のほかに俳句や文筆の顔もあった。
四天王のうち、上方落語協会の会長に就かなかったのは米朝だけとされる。1988年に会長に選ばれながら辞退した経緯が、その理由である。2017年の報道では、三代目春団治の名跡を四代目が継ぐことが発表され、当時の文枝会長は四天王の名跡をそろえる構想を語ったという。

なぜ受けたのか

戦後の上方では、東京の落語や新しい演芸に押され、寄席の数も減っていた。米朝は、口演だけでなく研究者としての顔も持っていたため、上方落語の価値を語る声に説得力があったと考えられる。演芸人として初の文化功労者・文化勲章を受けたことは、落語が文化として認められる流れのなかで大きな出来事だった。

くらさんの考察

米朝の仕事は、高座に出る人と、記録する人の二つにまたがる。録音と文章が残ったおかげで、のちの世代が噺の筋と型を確かめられるようになったと考えられる。
「復興」は一人の力でできたわけではない。四天王のそれぞれが、客席を沸かせる役、東西の交流、古い噺の保存、と役割を分けていたと考えられる。米朝が担ったのは、記録と研究の面だったとみるのが、出典から言える範囲だろう。

ジージへの問いかけ

・ジージが若い頃、上方の落語はテレビやラジオでどんな存在でしたか。
・米朝の落語を、東京の噺家の落語と聞き比べたことはありますか。
・消えかけた噺を掘り起こして残す仕事は、噺家より研究者の仕事でしょうか。

確かめられなかった点

上方落語協会の役職の年(副会長1957〜77年、会長選出辞退1988年)は、ウィキペディアの記述で、別の協会資料での裏取りはできていない。復活させた噺の数と個々の来歴は、確かめきれていない。

出典

・ウィキペディア 桂米朝(3代目) https://ja.wikipedia.org/wiki/桂米朝_(3代目)
・国立演芸場 桂米朝の回顧展の案内ページ https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/77953

動画

・『算段の平兵衛』桂米朝(米朝事務所落語チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=N7kJ5xwMVM4

関連動画

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