No.91新着 三遊亭円朝 扇一本の素噺と、速記本が運んだ明治の話し言葉
幕末から明治にかけて活躍した初代三遊亭円朝は、怪談噺・人情噺を自作し、道具を使わない素噺へ移った。『怪談牡丹灯籠』の速記本(1884年)は、明治の言文一致体への影響が語られてきた。
本文と出典
あらまし
三遊亭円朝(初代)は、1839年(天保10年)に江戸・湯島切通し町に生まれ、1900年(明治33年)8月11日に没した噺家である。本名は出淵次郎吉。父は橘屋円太郎で、二代目三遊亭円生の門人だった。円朝自身も円生に師事している。
幕末から明治にかけて、長編の怪談噺や人情噺を自分で作って演じ、「近代落語の祖」と呼ばれる。現在の落語の古典には、円朝の作とされる演目や、円朝の口演を通じて広まった演目が多い。
ここでは、年譜として確かめられたことと、資料によって食い違う点を分けて書く。
主なできごと
・1839年 江戸・湯島に生まれる
・1845年 7歳で小円太を名乗り初高座に上がる
・1855年 円朝を名乗り、芸界に復帰(真打の時期は資料により異なる)
・1861年 『怪談牡丹灯籠』の創作が、この年とされる(事典の記述)
・1872年頃 道具入りの噺をやめ、扇一本で語る素噺へ移る。道具は弟子の円楽に譲り、円楽は三代目円生を継いだとされる
・1884年 『怪談牡丹灯籠』の速記本が刊行される
・1891年 席亭との不和などから寄席を離れ、座敷と新聞の速記連載が中心になる
・1899年 10月、『牡丹灯籠』が最後の高座となる
・1900年 8月11日、下谷車坂町の自宅で没する
くわしく 修業と素噺への転向
7歳で高座に上がったあと、円朝は寄席を離れ、紙商・両替商への奉公に出た。浮世絵師の歌川国芳のもとで絵を学んだともされるが、どれも長続きしなかったという。異父兄の僧が住む谷中の寺で仏教に触れたことが、のちの怪談噺の創作に影響したとされる。
芸界に戻ったのは17歳前後で、ここで円朝を名乗った。師匠の円生とのあいだには、芸の競い合いがあったと伝えられ、人に演じられない自作の噺を持つようになった背景として語られる。ただしこの話は、ウィキペディアの記事自体に出典が足りないと注記がついており、定説として扱わないほうがよい。
明治に入ると、鳴り物や背景の道具を使う芝居噺をやめ、扇一本と話術だけで聞かせる素噺に移った。
くわしく 演目
長編の怪談噺として『真景累ヶ淵』『怪談牡丹灯籠』『怪談乳房榎』がまとめて挙げられる。人情噺には『文七元結』などがあり、伝記ものに『塩原多助一代記』がある。海外小説を翻案した噺もあった。モーパッサンの短編を下敷きにした『名人長二』などで、明治の知識人の読み物の感覚を高座に持ち込んだ形である。
また、『鰍沢』『黄金餅』『死神』など、落とし噺(オチのつく噺)として今も演じられる演目にも円朝の名が結びつく。ただし、どこまでが円朝の創作で、どこからが既存の話の改作なのかは、演目ごとに事情が異なる。
くわしく 速記本と言文一致
1884年に出た『怪談牡丹灯籠』の速記本は、話し言葉をそのまま書きとめた本として先駆けとされる。以後、『塩原多助一代記』なども速記本になった。
この話し言葉の文章が、明治の言文一致体に大きな影響を与えたとされる。二葉亭四迷が『浮雲』の文体を作るとき、坪内逍遥の勧めで円朝の速記を参考にした、という話も伝わる。速記術が広がった時期と円朝の人気が重なっていたことも、事典類は指摘している。
なぜ受けたのか
江戸から東京へと世の中が変わった時期に、人々は長い物語を耳で楽しむ習慣を持っていた。円朝の噺は、続きを毎晩聞きに行く連続ものとして客をつなぎ、のちには新聞や本のかたちで寄席に来られない人にも届いた。語りが「読むもの」にもなった点が、それまでの噺家と大きく違う。
中年以降は禅にも傾き、山岡鉄舟らと交わった。落語家の社会的地位を引き上げた人物としても評価されている。
評価の分かれる点
真打昇進の時期1855年とする資料と、1864年(26歳で両国の昼席の真打を務めた)とする資料がある。
享年事典は62歳、ウィキペディアは61歳としており、数え方の違いと考えられる。
創作か翻案か『真景累ヶ淵』の原型など、どこまでを円朝の創作とみるかは、演目ごとに論じられている。「すべて円朝の作」と言い切れる材料はこちらでは確かめられていない。
くらさんの考察
円朝を「名人」としてだけ見ると、話の面白さの説明で終わる。むしろ、道具を捨てて話術に絞ったこと、速記で文字に残ったことの二つが、後の落語の形を決めたと考えられる。今の古典の多くが「聞いて笑う」だけでなく「読んでも筋が通る」のは、速記本の時代を通ったためではないかと思う。
ジージへの問いかけ
・怪談噺は夏の定番ですが、ジージが子どもの頃、怪談や人情噺をどこで聞きましたか。
・声だけで語る芸が、本になって広がった。ラジオやテレビの時代の落語と似ていると思いますか。
・円朝は今から125年前に亡くなった人ですが、ジージにとって遠い人でしょうか、近い人でしょうか。
確かめられなかった点
『怪談牡丹灯籠』などの原話(元ネタ)については、出典を開いて確かめられなかったので書いていない。作品ごとの創作年も、資料により異なる。
出典
・コトバンク 三遊亭円朝(初代) https://kotobank.jp/word/三遊亭円朝-18133
・ウィキペディア 三遊亭圓朝(初代)(2026-10-31 閲覧。ページ名の綴りは「圓」) https://ja.wikipedia.org/wiki/三遊亭圓朝
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが落語QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。