No.82新着 文七元結 身投げを止めた左官の五十両
博打好きの左官が、娘の身売りで得た五十両を、身投げしようとした若者に渡す人情噺。三遊亭円朝の作とされ、六代目圓生、八代目正蔵、志ん生、志ん朝らが、長兵衛の気持ちの描き方を変えて演じてきた。
本文と出典
あらまし
「文七元結」は、三遊亭円朝が作ったとされる人情噺である。腕のいい左官の長兵衛が、博打で借金を抱え、娘のお久が自分の身を売って作った五十両を、身投げしようとしていた若者の文七にそのまま渡してしまう。
題の「元結」は、髪を結ぶ紐のことである。文七元結は江戸中期に考案された実在の品で、名の由来には、考案者が桜井文七だという説と、下野国産の文七紙を使ったからという説があるとウィキペディアは書く。噺の最後に二人が元結の店を開くところで、この題が生きてくる。
笑いを主にした噺ではなく、一席の中に父と娘、見知らぬ他人、商家の主人という三組の情が重なる。口演に一時間近くかかる大ネタである。
主なできごと
・幕末から明治初期 円朝が中国由来の話などをもとに作ったとされる(出典に明記はなく、詳細は不明)
・1889年(明治22年) 「やまと新聞」に速記が掲載される
・1902年(明治35年) 五代目尾上菊五郎の主演で歌舞伎座で初演される
・昭和 六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵(彦六)、五代目古今亭志ん生、三代目古今亭志ん朝らが名演とされる
・近年 立川談春、初代三遊亭圓丈らが、設定や筋を変えて演じたとウィキペディアにある
成り立ちをめぐって
作者は円朝とされ、コトバンクもウィキペディアも円朝の人情噺として扱う。ただし元になった話があり、円朝が手を加えて完成させたという書き方である。ウィキペディアは、中国に伝わる話が土台にあると記すが、これを裏づける個別の出典は確かめられなかった。
初出の形としては、1889年の「やまと新聞」の速記が挙がっている。円朝の噺は速記本で広まったので、現在の筋の骨組みはこの速記から確かめられることが多い。
歌舞伎になったのは1902年で、円朝の没後である。落語が歌舞伎の人気演目に取り込まれた例としても知られる。
あらすじの骨組み
長兵衛は博打に溺れ、家計は火の車である。ある日、娘のお久が家を出たまま帰らない。吉原の大きな妓楼に出向くと、お久が自分から身を売って金を工面しようとしていたことが分かる。女将は、長兵衛に五十両を貸し、次の大みそかまでに返せばお久を店に出さないと約束する。
帰り道の吾妻橋で、長兵衛は身投げしようとする文七を止める。文七は奉公先の近江屋の集金を失くしたのだという。長兵衛は説得し、迷った末に、娘の身代金である五十両をそのまま渡して立ち去る。
家に戻って事情を知らない女房と大喧嘩になるところへ、近江屋の主人と文七が訪ねてくる。金は得意先に忘れてあっただけで、文七の早とちりだった。主人は五十両を返して長兵衛に礼を述べ、お久を身請けしていた。
のち、文七とお久は夫婦になり、暖簾分けを受けて元結の店を出す。サゲ(落ち)の種類は、今回開いた出典に記載がなく、確かめられなかった。
型の違い
演者による違いで最もよく挙がるのは、長兵衛が金を渡す動機である。
六代目圓生や五代目志ん生は、見殺しにしては寝覚めが悪いという、半ば嫌々の気持ちを前に出す。林家たい平や柳家喬太郎もこの系統だとウィキペディアにある。
これに対し八代目林家正蔵(彦六)や柳家小三治は、主人への忠義のために死のうとする文七の心根に感じ入って、未練なく渡す型をとる。同じ筋でも、長兵衛が気前のいい職人に見えるか、人のいい意地っ張りに見えるかが違ってくる。
吉原の店の名にも違いがあり、「角海老」と「佐野槌」の両方で演じられ、現在は「佐野槌」とする演者が多いとされる。
筋の改作も多い。三代目志ん朝は、お久が夜に動くことの不自然さを直したとされる。初代三遊亭圓丈は、二日間にわたる話を大みそか一日に縮め、文七とお久があらかじめ恋仲だったという伏線を入れた。立川談春は返済の期限を伸ばした。いずれもウィキペディアの記述による。
名演の系譜
六代目三遊亭圓生は、演出の緻密さで高く評価されるとされる。八代目林家正蔵も名演とされ、五代目志ん生は病後のゆっくりした口調の味わいが評価される。三代目志ん朝は、五十両を渡すまでの長兵衛の心の動きの描写に定評がある。
このほか、初代三遊亭円右、四代目橘家円喬も得意としたと記されている。コトバンクも、六代目圓生と八代目正蔵が得意としたと書く。
師弟の関係については、今回開いた出典では確かめきれなかったので、ここでは書かない。上方では二代目桂ざこばが演じた例が挙がる。
なぜ受け継がれてきたのか
中心にあるのは、貧しい男が自分の娘の身代金を見ず知らずの他人に渡すという、一見して無茶な行動である。この無茶を、客が納得できるように演じることが、演者の腕の見せどころになる。圓生と正蔵のように、動機の置き方で二つの型に分かれても、どちらも名演とされているのは、その納得のさせ方が複数あるからだと考えられる。
さらに、長兵衛の気前のよさだけでなく、身を売る娘、早とちりで死のうとする若者、誠意で返す商家の主人が出てくる。登場人物のどこに重みを置くかで、演者ごとに別の噺になる。歌舞伎や映画、ラジオドラマにまで広がったのも、筋が強く、役がそろっているからだろう。
確かめられなかった点
サゲの種類と、中国由来とされる原話の具体的な中身は、開いた出典では確かめられなかった。師弟関係の細部も、出典で確かめていないので書いていない。
くらさんの考察
同じ五十両の場面でも、嫌々渡す長兵衛と、潔く渡す長兵衛では、後半の主人の礼の重みが変わると考えられる。嫌々の型では、長兵衛の気持ちの揺れが救われ、潔い型では、人の誠が報われる。二つの型が並び立つこと自体が、この噺の強さを示しているように思える。
ジージへの問いかけ
・ジージなら、娘の金を見知らぬ他人に渡す長兵衛を、どう思いますか。
・これまで聞いた「文七元結」で、長兵衛が嫌々渡す型と潔く渡す型のどちらが記憶に残っていますか。
・歌舞伎や芝居で見た落語由来の話はありますか。
出典
・コトバンク「文七元結」 https://kotobank.jp/word/文七元結
・ウィキペディア「文七元結」 https://ja.wikipedia.org/wiki/文七元結
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが落語QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。