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No.6新着 1970〜80年代の落語 テレビの笑いと、協会の分裂

1966年に始まった『笑点』は、初代司会の立川談志のもとで落語家の大喜利を茶の間に広げた。上方では米朝・松鶴ら四天王が復興を進め、東京では1978年に落語協会の分裂騒動、1983年には立川流の創設が起きた。

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登録日時
2026年10月31日 09:43
出典を確かめた日
2026年10月31日
分野
1970〜80年代
立場
評価の分かれる点
タグ
笑点新着テレビ新着落語協会・芸術協会新着上方落語新着師弟・系譜新着演目新着
芸人・番組
立川談志、六代目三遊亭圓生、五代目三遊亭圓楽、桂米朝、六代目笑福亭松鶴
資料の種類
事典・概説
年代
1970〜1989年

本文と出典

あらまし

1970〜80年代の落語は、テレビの人気と、協会の組織の揺れが同時に進んだ時期である。1966年5月15日に日本テレビで始まった『笑点』は、落語家が大喜利をする番組として、寄席に行かない人にも噺家の顔を知らせた。
一方で、東京の落語協会では、真打の昇進の基準をめぐる対立から、1978年に六代目三遊亭圓生一門が脱退した。1983年には談志が協会を離れ、「落語立川流」を作った。上方では、四天王と呼ばれる噺家たちが復興を担った。

主なできごと

・1966年5月15日 『笑点』が日本テレビで放送開始。初代司会は立川談志(〜1969年)
・1971年 朝日放送が「1080分落語会」を開催
・1972年 六代目笑福亭松鶴らが「島之内寄席」を始める(月5日興行)
・1973年 落語協会の理事会が二つ目20人の真打昇進を可決。圓生は反対
・1977年 落語協会が社団法人の認可を受ける
・1978年5月 圓生が協会を脱退し、「落語三遊協会」の設立を発表
・1979年9月3日 圓生が急死
・1980年2月 三遊協会が解散。圓楽は復帰せず、一門で新団体を作る(のちの円楽一門会)
・1980年10月 落語協会が、大量昇進に代わる「真打昇進試験」を導入
・1983年 談志が協会を脱退し、落語立川流を創設
・1983年 桂三枝が「ゴルフ夜明け前」で芸術祭大賞を受賞

くわしく

『笑点』と演芸番組

『笑点』は、前身の『金曜夜席』を引き継いで始まった。ウィキペディアは、寄席風の公開録画の演芸バラエティ番組と説明している。初代司会の談志は1969年まで務めた。この時期に定着した大喜利の形式は、噺家の機転の面白さを、噺を知らない視聴者にも伝えた。
日本テレビの公式チャンネルは、放送60周年の特別映像として、初代司会・談志の大喜利映像を公開している。

上方落語四天王

1960年代から、六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝(当時は小文枝)の4人が「上方落語の四天王」と呼ばれた。没年は、文枝が2005年、松鶴が1986年、米朝が2015年、春團治が2016年。米朝は1996年に人間国宝に認定され、2009年には文化勲章を受けた。
1971年の朝日放送の「1080分落語会」や、1972年に松鶴らが始めた島之内寄席は、上方落語を大阪の客に再び聞かせる場になった。

落語協会の分裂(1978年)

発端は、真打昇進の人数をめぐる対立である。1973年に二つ目20人を真打にすることが理事会で決まり、圓生は反対した。1978年5月、小さん会長の執行部が秋に10人の昇進を提案して可決されると、圓生は常任理事3人の解任を求めたが、会長は拒否した。圓生は5月12日に脱退を決め、24日に赤坂プリンスホテルで「落語三遊協会」の設立を発表した。翌25日、東京の四つの席亭が新団体の寄席出演を認めないと決め、5月末から6月1日にかけて、圓蔵・志ん朝・圓鏡らが協会に戻った。三遊協会は圓生と圓楽・圓窓の一門だけで始まった。
1979年9月に圓生が急死し、三遊協会は1980年2月に解散した。圓楽の一門は協会に戻らず、新団体を作った。これが後の円楽一門会である。落語協会は1980年10月に真打昇進試験を導入した。
1983年には、この試験の運用に異議を唱えた談志が、弟子の談四楼らの不合格をきっかけに協会を脱会し、「落語立川流」を作った。

なぜ受けたのか

笑点が受けた背景には、1960年代のテレビ演芸ブームがあったと考えられる。寄席より手軽に噺家を見られる場所が、家庭の茶の間に生まれた。
協会の揺れの背景には、真打の人数と質をどう保つかという、組織の根本的な問題があった。落語家が増え、二つ目のまま昇進を待つ人が多くなった事情が、昇進の基準をめぐる対立の土台にあったと考えられる。

評価の分かれる点

・分裂の原因は、見方が分かれる。圓生は「真打の乱造による落語の質の低下」を理由に挙げた。小さんは、長く二つ目にいる人を昇進させるべきと考えた。
・黒幕は誰かについても、複数の説がある。金原亭伯楽は談志を黒幕と書いた。三遊亭圓丈は『御乱心』で、首謀者は圓楽だと批判した。ほかに、圓生の人柄や、席亭の判断が結果を決めたという見方もある。
・どれも、関係者の著書に基づく見解で、一つに決めることはできない。ウィキペディアもこの点を併記している。

くらさんの考察

この時代は、落語家の生活がテレビと寄席の両方に分かれていった時期だと考えられる。一方で、分裂騒動から生まれた円楽一門会や立川流が、現在の東京の落語の組織の姿(落語協会・落語芸術協会・円楽一門会・立川流)の土台になっている。
分裂騒動は、悲しい出来事でもあるが、結果として、噺家が複数の道を選べる状況を作ったとも読める。ただし、当事者の証言が割れているため、評価は慎重にしたい。

ジージへの問いかけ

・ジージが『笑点』を見始めたのは、いつごろですか。初代の談志の司会を覚えていますか。
・1978年の落語協会の騒動を、新聞やテレビで知りましたか。
・上方の四天王のうち、実際に高座を見た人はいますか。

出典

・笑点(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/笑点
・落語協会分裂騒動(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/落語協会分裂騒動
・上方落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/上方落語
・新作落語(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/新作落語
・落語協会 協会概要 https://www.rakugo-kyokai.jp/about
確かめられなかった点:1970年代の『笑点』の歴代司会・メンバーの変遷、演芸番組の視聴率は確かめられなかった。分裂騒動の原因は関係者の著書に基づく見解で、一次の記録までは確かめていない。

動画

・『笑点』60周年特別映像 初代司会・立川談志の大喜利映像(日テレ公式チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=RnqeRahXKZc

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