落語協会・芸術協会このタグの資料 11 本

  1. 十代目柳家小三治 マクラで笑わせた、人間国宝の落語協会会長新着No.95

    十代目柳家小三治は、噺の前置きであるマクラで人気を集めた。1969年に17人抜きで真打となり、2010〜2014年に落語協会の会長を務め、2014年に人間国宝となった。2021年に没した。

  2. 七代目立川談志と立川流 落語協会を出て、家元を名乗った人新着No.94

    立川談志は1983年に落語協会を出て立川流を作り、家元を名乗った。参議院議員、笑点の初代司会としても知られ、芸も人物も評価が大きく分かれた。

  3. 笑点 60年続く日曜夕方の大喜利と、六人の司会者新着No.51

    笑点は1966年5月15日に日本テレビで始まり、2026年に「週間のテレビコメディーパネル番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された。司会は談志から数えて六代目の春風亭昇太。

  4. 五代目古今亭志ん生と二人の息子 昭和の名人と、馬生・志ん朝の道新着No.92

    五代目志ん生は何度も改名を重ね、戦後に名人となった。長男の十代目馬生は人情噺、次男の三代目志ん朝は華のある芸で、それぞれ別の道を築いた。

  5. 前座・二つ目・真打と入門から修業まで 楽屋の仕事が、噺家を育てる新着No.73

    東京の落語家は、見習いから前座・二つ目・真打へと進む。前座の楽屋仕事、二つ目の暮らし、真打の資格と、昇進をめぐる議論を、出典で確かめられた範囲で書く。修業の年数は確認できなかった。

  6. 落語協会・落語芸術協会・上方落語協会・円楽一門会・立川流 五つの団体の成り立ち新着No.72

    落語家の団体は、東京の落語協会・落語芸術協会・円楽一門会・立川流と、大阪の上方落語協会。それぞれの設立年と分裂の経緯、2026年10月時点で確かめられた会長を書く。

  7. 東京の定席と寄席の仕組み 四軒の寄席と、昼夜・色物・トリ新着No.71

    東京の定席は、上野の鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四軒。十日ごとの興行、昼夜の部、色物、トリという寄席の仕組みと、各席の現況を確かめた範囲で書く。

  8. 落語・講談・浪曲・漫才のちがい 「噺す」「読む」「語る」、そして掛け合い新着No.34

    落語は「噺す」、講談は「読む」、浪曲は「語る」と説明される。漫才は二人以上の掛け合いが基本である。四つの芸の特徴と、現在の団体・人間国宝の事実を整理する。

  9. 上方落語と江戸落語の違い 見台・小拍子・ハメモノは、辻噺の名残新着No.33

    上方落語には見台・小拍子・膝隠しの道具とはめものがあり、江戸には前座・二つ目・真打の身分がある。違いの背景として、辻噺と座敷噺という起こりの違いが語られる。

  10. 1970〜80年代の落語 テレビの笑いと、協会の分裂新着No.6

    1966年に始まった『笑点』は、初代司会の立川談志のもとで落語家の大喜利を茶の間に広げた。上方では米朝・松鶴ら四天王が復興を進め、東京では1978年に落語協会の分裂騒動、1983年には立川流の創設が起きた。

  11. 大正・昭和戦前の落語 ラジオに乗り、禁演の五十三席を石の下に埋めた新着No.4

    大正は活動写真やオペラに客を取られ、落語は不況に向かった。1925年のラジオ放送開始で落語は寄席の外へ出て、昭和初期には兵隊物などの新作落語が人気を集めた。1940年、戦時下の自粛で吉原物などの53演目が禁演となり、翌年、浅草の本法寺に「はなし塚」が建てられた。

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